[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第7回: インディーズという甘美な囁き

「インディーズ」……いい響きです。なにごとにも縛られない自由を感じる言葉です。

音楽シーンにおけるインディーズの変遷

「インディーズ」という言葉が日本で市民権を得たのは、音楽シーンでのことだったと思います。インディーズの語源は”Independent”からで、「独立」とか、「自主」などの語源から来ています。

つまり、「大きな資本などに依らず、組織にも所属せず、自分たちで何かを創り出し、運営している」という人や集団の総称といっていいでしょう。

1984年、私は大学を卒業すると念願だったレコード会社に入りました。しかし、その当時のレコード産業自体は斜陽と呼ばれており、「豆腐製造業」と同じくらいのスケールと揶揄されていたことを記憶しています。

当時、プロのミュージシャンや歌手、タレント以外がレコード(ビニール)盤をリリースすることは至難の業で、どうしてもレコードを出したいという歌手を目指すような人は、「P(ピー)盤」という自主制作レコードを出すことができました。自費出版の音楽版と思っていただければいいと思います。

それはあくまでもレコード会社が製造を請け負ってくれるだけで、枚数は500枚くらいのプレスが必要となり、費用負担はすべてレコードを出したいという個人で負担するというものでした。それなりの可処分所得がないとできないものでした。

ただ、カバージャケットや盤面には製造したレコード会社のクレジットやロゴマークが入るので、それなりのブランド商品を個人でオーダーする感覚に近く、「オレもメジャーデビューしているぜ」という満足感を満たすにはじゅうぶんだったかもしれません。

当然ながらP盤は宣伝もしてくれませんし、レコード店用の注文書にも掲載されません。個人が、知り合いや自分が経営するスナックなどで手売りするのが精いっぱいでした。

それは、演歌系に強いレコード会社にとって、リスクゼロのおいしいビジネスだったと思います。しかし、その中から有名な歌手が生まれたという事例はあまり聞いたことがありませんでした。

その後、メディアがレコードからCDに替わり、そして、CBSソニー(のちのソニーミュージック)がニューミュージックといわれるジャンルのアーティストを多数輩出、さらには、貸しレコード業から転換して、新規参入したエイベックスがダンスミュージックで一大ムーブメントを創り出したことで日本の音楽産業は持ち直しました。

さらには、宇多田ヒカルやビーイング系ミュージシャンのB’zなどの席巻により音楽シーンはピークを迎えCDの販売量も過去最高の記録を樹立しました(このあたりは書き始めると長くなるので割愛します)。
さて、現在はどうでしょうか?

自分で作曲をして、PCで音楽を打ち込みで作って録音編集して、ボーカルをのせて、エフェクトをかけて、プレスも自分でディスクを買ってきて「焼け」ばでき上がりです。気の利いたジャケットなどのアートワークも才能があれば自分でできます。

しかし、それを世に出す仕組みはそう簡単にはいきません。音楽ポータルや動画ポータルなど数あるなかで、どれだけ多くの人に聞いてもらえるか、そして、どれだけ高く評価してもらえるかがいちばん難しい点であることは、

1980年代とあまり大きくは変わっていません。変わったことは、発表ができる場所が限りなく増えたことです。

スマホが変えたインディーズと事例

ゲームはどうでしょうか。

PCゲームの黎明期は、ソフト開発はある程度のプログラミングスキルを持った人たちに限定されていました。同時にそれは、それらを楽しむ人も限定された時代でした。

同様に家庭用ゲームも任天堂やセガ、ソニーといったハードメーカーの供給するゲームマシン向けの開発は、ハードメーカーが供給する開発機材を用いての開発するため、簡単に新規参入ができるものではありませんでした。

それが大きく変わったのはスマホの普及です。これによって、今まで専門的な知識や技術が必要だったソフト開発に変化が訪れました。ココス2D、XCODE(Xコード)、そしてUnityなどの開発プログラムが急速にインディーズの人たちの開発を後押しをしました。

私も2014年にスマホ向けゲームプログラムスク-ルに約3ヵ月間通いました。プログラムといっても初歩的なコースだったので非常に明快でした。毎回1コンテンツを作るもので、プログラムのパーツ(ソースコード)をいろいろと組み合わせで完成させるというものでした。

おそらく、これを勉強し続ければある程度のクオリティのゲームコンテンツを世に送り出すことは可能でしょう。実際にそのスクールの卒業生がインディーズとしてゲームコンテンツやユーティリティソフトをApp StoreやGoogle Playに出展しているケースを散見しました。

中にはダイエットのコンテンツでサラリーマン時代よりも収入があるという人もいました。

しかし、そのような事例ばかりではありません。実際に作って、アップしたけど目に触れない、誰もダウンロードしてくれないという事例もたくさん聞きます。

たまに、ネットのニュースサイトなどの記事で、個人開発したゲームが数十万ダウンロードで大成功! みたいな記事が出ますが、それこそ、数万件に1件くらいの割合ではないでしょうか。

最近見た事例では、72歳のご老人が作ったLINEクリエイターズスタンプが売れているという事例です。ネットから始まり、すでにニュース番組でも取り上げられています。リリース当初は数千円の売り上げだったものが、ツイッターから話題になり、1日に数万円のときもあるということです。

このような事例も極めて少数派です。趣味の延長線、無欲が招いた強運かもしれません。誰もが自分に起こる奇跡を信じて作り続けることは大切です。それを止めたときには新しいものは生まれてこないかもしれません。

今は亡き、ポップアーティストのアンディ・ウォーホルは「人は、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」といいました。

インディーズ、自由、自主、独立、しかし、何の確約もない、何の支援もない、自己責任という数千、数万の屍の上に1つの奇跡が生まれるのという確率の話かもしれません。「宝くじ」のキャッチコピーではありませんが「買わなければ当たらない」といいます。

あなたはやりますか?やりませんか?その選択は非常にシンプルなのです。