[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第3回: 泡沫(うたかた)の夢 GAME IS OVER

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昔はよかったなんていう人がいる。そういう話をたまに読んだりみたりするが、あれは嘘だと思う。よく考えてみてほしい。今から20年前、思い返せば1995年、この時代だってじゅうぶんに不便だった。携帯電話は普及し始めていたが、メールなどの機能はまだだった。さらに、そこから10年遡れば、1985年には電話帳(今の青少年は電話帳すら知らないかもしれない)ぐらいのサイズでショルダーストラップが付属した移動型携帯電話がリリースされた。不便というには語弊があるが、一般的なモラルだって低かった。犬の散歩させて、道端に糞をしても片付けない飼い主もたくさんいた。コンビニエンスストアのトイレを一般に開放する1997年より以前は道端に平気で小便をする大人がたくさんいた。そんな時代だったのだ。

女性と若年層にリーチできたスマホゲーム

ゲームハードやコンテンツを取り巻く環境も以前は、電源ケーブルをコンセントに挿して、それからカセットかディスクロムをセットして起動ボタンを押す、起動画面が立ち上がる、そしてゲームをロードするという手間がかかるものだった。今ではスマホであれば、タップするだけですぐにゲームが始まる。これを進化といわずしてなんというべきか。そして、昔はよかったという感慨とともに、通電の儀式をありがたがる気持ちを今でも維持できるのだろうかと思う。いうなれば、面倒くささが排除された時代になったという証であり、時間的な余裕や猶予を持てなくなった時代になったともいえる。

さて、この時代の変化において、スマホというゲームポータルがもたらした功績は大きい。従来の男性ゲームプレイヤーはもちろんだが、新たに女性と若年層の開拓に大きく寄与したと思う。

先日、別メディアではあるが、コーエーテクモホールディングスの襟川陽一社長にインタビューする機会に恵まれた。

その際に以前から聞きたことを尋ねてみた。それは、「1994年発売の『アンジェリーク』ですが、今の乙女ゲーのはしりだったと思いますが、どのような経緯で企画されたのでしょうか?」という質問である。

襟川さん曰く……「『アンジェリーク』は会長(襟川恵子氏)が、女性向けのゲームが市場にないとずっといっていて、企画から始まって開発まで10年以上かかっていますよ」と、ていねいに教えてくれた。ちなみに、ゲームの構成やセリフ、ストーリーなどは女性開発チームを起用して作ったというこだわりのコンテンツである。

スマホ上の魔法の仮想現実世界

その『アンジェリーク』から約20年を経て、乙女ゲーもずいぶんと様変わりした。スマホベースでそのジャンル専門のコンテンツばかりをリリースする会社もある。

ビジュアルは今どきのスリムなスタイルで、髪のカラーリングも現実ではあり得ないような世界観のキャラクターが並び、プレイヤーは自分の好みにあったキャラクターを選択できる。さらに、人気声優を起用してキャラクターの擬人化を促進している。いくつかのパターン化されたものはあるとはいえ、ストーリーもじゅうぶんに練り込まれている。そして、「ここぞ!」というタイミングで次を読みたくなる、プレイしたくなるという導線も見事で、知らず知らずのうちに月に数万円の投げ銭をしてしまう女性顧客も少なくない。

セリフも一般男子だというもはばかるよう粋なキメセリフやドSな囁きをしてくれる。非現実の現実であるのだが、常識的にはありえない世界観ではあっても、それが味わえるという点が好評価を受け、ゲームプレイの時間が待ち遠しいという声もある。

確かに、日常生活で説かれることもほとんどない、異性との出会いを求めるのも面倒、仮に付き合い始めたとしても、気の利いたセリフも、かゆいところに手が届くようなことは言ってくれない……となれば、我々男子も出る幕はない。男子も女子も便利な世界に進化したがゆえに、面倒な手続きや順序を踏まえるということに関しての耐性がなくなってしまったのではないだろうか。環境は、昭和のジャングルから管理されたテーマパークに進化成熟したが、人間のモチベーションは弱体化し、狩猟本能がスポイルされるのも無理はない。

ゲームの世界観が進化したことで、好きなときに、好きなようなことができる。必要に応じて、可処分所得が豊富ならばお金で時間とストーリーとキャラクターを買う。そして、実生活では面倒なことでもゲームならばゲームと割り切れる。また、面倒くさくなればいつでも別れることもできる(リセットする)。面倒な呪縛から解放された、スマホ上のワンワールドは現代が起こした魔法の仮想現実。

しかし、そんな魔法の仮想現実もいつかは夢から覚めるときもくる、顧客が減り、ゲームが運営されることもなくなる。それも見越した上だろうか、それとも、それまでは新しいデジタル恋人やリアルな恋人や配偶者ができるのだろうか。

とはいえ、誰が惚れた腫れたは、ご自由にというべきだろう。人の恋路をじゃまする奴は馬に蹴られて死んじまえと先人たちはいい残した。他人の趣味や恋を批判するようなことはすまい。それは無粋なことである。LOVE IS OVER改めGAME IS OVER、泡沫の夢とはいえ、いつかはその日はやってくる。