[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第43回: スマホのコンテンツシンギュラリティ

このところ、AI(人工知能)とともに、シンギュラリティ(singularity)という言葉を耳にする機会が増えている。日本語に訳すると「技術的特異点」、未来研究者のレイ・カーツワイルによって提唱された考えで、AIが人間の能力を超えることで起こる事象やその時期のことを総称して呼んでいる。そして、シンギュラリティは2045年にその時期が来るといわれている。

1987年のニューヨークで思ったこと

2045年といえば、今から28年後、私は生きていれば84才。仮に生きていたとしても、そんなことはどうでもいい年齢域に達しているだろう。

日本と世界を取り巻く厳しい環境で、その年齢までがんばって生きてもあまりいいこともなさそうだという見方もできよう。ただ、残された人たちのために、それらがいい環境になることを望んでいる。

今の日本、特に東京で生活していると、アメリカへ初めて旅行した30年前のことをよく思い出す。初めてアメリカ旅行したのは1987年のこと。場所はニューヨーク、初めての海外旅行の場所にしてはかなりハードルの高い場所だった。プライベートと仕事を兼ねてのもので、ニューヨーク、マンハッタン島のガイドブック制作がその仕事だった。

当時、ニューヨークは「人種の坩堝(るつぼ)」といわれていて、ホワイトカラーの白人を頂点に、メキシコやブラジルなどの南米系、中華系、東南アジア(韓国、ベトナムなど)系の移民などの労働力が混然一体となって、マグマのような活力を呈していた。

地下鉄などの公共機関では、いったい全体ここはどこなんだろうというカオスのような状況だったことが鮮烈な記憶として残っている。

そして、今の東京を振り返ってみるとどうだろうか?

私が1987年に見たニューヨークの地下鉄さながらの光景が拡がっている。案内板や車内の表示も4か国語表示は当たり前で、10年前の日本と比較しても明らかに見える風景が変わってきていることをみなさんも感じていることだろう。

街や人が生きて、さらにそこから発展していくためには「多様化」(diversity:ダイバーシティ)はよくも悪くも必然である。

ビデオゲームが生まれて40年

アタリの共同創業者である、ノーラン・ブッシュネル氏らが中心になって開発し、家庭用として発売されたビデオゲームが生まれてから、すでに約40年が経過する。

大学のコンピューター実験室がルーツとなり、業務用ゲームが始まり、家庭用ゲーム機としてそれらのコンテンツが遊べるようになり、さらに90年代前半には3次元コンピュータグラフィックスの登場により、ビジュアルも大きく変化し進化した。

おそらく、ゲーム的なジャンルとしてはやりつくした感があるのではないだろうか。

それとともに、ハードウェアの進化は家庭用ゲーム機から高性能パソコン、そして今では過去のそれらを遥かに凌ぐスペックを擁するスマートフォンやタブレットなどのデバイスが人々に行き渡った。

それらに適応するコンテンツもスマートフォンのポータルでのダウンロードが中心になっている。これらは前回のコラムでも取り上げたようにAppleやGoogleなどのデジタル封建主義に準(なぞら)えた領主的ポータルが独占をしている。

これらのスキーム体制が大きく変わるとは思えないが、かといって永遠にこの体制が維持されることは無いだろう。

「ヤフーゲームプラス」のような新しい座組みやポータルが、過去のモノと切磋琢磨し世代交代を繰り返すことは歴史が証明している。

コンテンツのシンギュラリティ

かつて、PlayStation3が導入されたとき、家庭用ゲームの各パブリッシャーは、開発費の高騰を嘆いたことをよく覚えている。

「億のケタがヒトケタ変わった…」というものだった。

もちろん、それより以前にもセガの『シェンムー』のように、総開発費30億円など、当時としては途方もない開発期間と人員の総和が計上されたこともある。しかし、一般的に開発費が高騰したのは、さきのPlayStation3である。

しかし、最近のスマートフォン向けのアプリゲームの開発費も著しく高騰しているという。

とある著名な中堅どころのパブリッシャーのスマホゲームの開発費は、10億円を超えているという。そのレベルでないと、市場では勝負ができなくなっているという。おわかりように、少し前の家庭用ゲームのビッグタイトル並みの開発費が中堅規模のスマホゲームのパブリッシャーでも投入しているという。

大手パブリッシャーに至ってはいわずもがなだろう。

私の記憶が確かならば、2015年11月に開催された、セガゲームスの「Noah Pass(ノア・パス)」の発表会に於いて、最低でも開発費2~3億円を使わないと一般的に勝負ができるレベルのコンテンツが提供できないというコメントがあったと思う。

そして、それらのコンテンツ1作品あたり、総合すると販促費などの総合計で10億円規模になるという。

2017年の現在、コンテンツの開発費そのもので約10億円レベルに達しているという事例もあり、わずか2年で開発費のアベレージは5倍以上に達するという。

つまり、ある程度の規模の会社資産やキャッシュフローを保有していないパブリッシャーは、そこにエントリーすることができないということだ。

スマートフォンのスペックのシンギュラリティ以前の課題として、これらの現実的な特異点が存在することも理解しておかなければならない。

潤沢なキャッシュがあればシンギュラリティは超えることができる?

8月の上旬から『 KOS – Kings of Sanctuary』というスマホゲームのTVCMのスポットがゴールデンタイムなどの大量に投下されているのはご存じだろうか。

ゲーム自体は古代中国や中世ヨーロッパ、日本の戦国時代などが入り交じった世界観の中で、プレイヤーは西洋風の騎士や戦国武将に扮して対戦を楽しむことができるバトル戦略シミュレーションゲームだ。

テレビスポットの量は、私の経験則に基づけば全国規模で5~7億円規模の費用が投下されているだろう。今のテレビ局にとっても貴重な「お客様」だ。

しかし、ゲーム自体は特筆すべきポイントが見当たらない……。キャッチコピーは「ゲームの国が、本気を出した」「ゲームの国の男はどうだ」という扇情的なものだ。

しかし、公式サイトにはアクセス集中のためサーバー障害が発生しているというアナウンスが出たまま、肝心のゲームポータルでのランキングもTVCMとの相乗効果もなく、ランキングで見つけることはできなかった。

「売り」と「買い」のバランスがここまでズレた事例も珍しいのではないだろうか?

ちなみに、コンテンツ自体をプロデュースしているパブリッシャーは、スマホゲームには初エントリーのようだが、そのパブリッシャーを少し調べれば某国民的アイドルグループの戦略的グループ会社の1社だと容易に判明する。

つまり、某グループのファンの方々からの売り上げの循環とさらなるその増幅を狙ったものかもしれない。しかし、導入から1ヵ月を過ぎようとしている今、その雌雄を決するには至らない。むしろ、この先どうすべきかを悩みぬいていることかもしれない。

潤沢なキャッシュがあり、スタッフが揃っていて、大量宣伝があっても越えられないシンギュラリティがあるという事例かもしれない。引き続き注目したい。

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