[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第40回: 血族の王朝「コナミ」(2章)

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前回アップしたコラム「血族の王朝『コナミ』(序章)」は、おかげさまで多くの方に読んでいただけたようで、SNSを始め、直接的なメッセージでさまざまなご意見やコナミの近況などをお教えいただいた。それだけ、コナミとそのコンテンツ、そして、そこに関わる(関わった)クリエイターへの魅力や関心はいまだに強くて高い。つまり、それだけ価値のあるものを生み出してきた歴史と未来への反応といってもいいだろう。

歴史を黙して語らない……

コナミの歴史を紐解くと、以下のような創業からの沿革に出会う。

以下の記述は私も保有している『それは『ポン』から始まった』(アミューズメント通信社・著者:赤木真澄)という書籍に詳しい。

私の記憶によれば、5年ほど前のウィキペディアの「コナミ」のページにも社名の由来が明記してあった。現在はその記述が削除されているのだが、おそらく誰かが編集、削除したのだろう。

以下、「それは『ポン』から始まった」より部分的に抜粋。

「コナミ工業は上月景正、仲真良信、宮迫龍雄の三人が、大阪・豊中で豊南電子工業を立ち上げ、69年3月(※21日)にそれぞれの頭文字を取って、コナミ工業として正式に創業した上で、73年(※3月19日)に法人化したものである。」

「40年京都生まれの上月は関西大学経済学部を卒業して、日本コロムビアの大阪営業所に入り、ジュークボックスを扱っていた。同じ職場で、レコード供給をしていた宮迫とともに独立して、さらに宮迫の知人でレコード店にいた仲真が加わったのである。当初はジュークボックスの修理販売とレコード供給だけだったが、ゲーミング機の製造に進出し、日本物産(※ニチブツ)と同じような電光点滅ルーレット式ゲーミング機を作っていた。」

そう、社名の由来は、前述にあるように、創業メンバーの上月景正氏、仲真良信氏、宮迫龍雄氏の頭文字を取り「KOuzuki、NAkama、MIyasako」といわれている(※なお、当時技術部長だった石原氏の「I」も入っているという由来もある。諸説あり)。

※部分は筆者注

過去の取材などで、上月氏は「大波をかぶるより小波のほうがいいのでコナミ」という社名の由来を語っていると聞いたこともあるが、上記の創業者のイニシャルからネーミングをとったという、夢と努力と友情のような由来は今となっては亡きものなのだろうか。

共同創業ゆえの歪(ひず)みが芽生えたのか

現在のコナミの公式沿革には、上記の社名の由来、共同創業者の一文が見当たらない。

会社の常識として、共同創業であれば、「資本金=株式」も共同経営者がそれぞれの応分比率で出資したと想定できる。それゆえに、会社が成長する過程、経営の中で、創業者3人での主導権争いや利益などの配分、配当での歪みが生まれたのかもしれない。

しかし、これに関しては、1969年の創業からの時間が経過しすぎていて、実際のところ確認のしようがない。把握されている方がいたら後学のためにお教えいただきたい。

私も会社の規模は異なれど、実体験としてあるのは、自身の持ち株が100%の会社でない場合、

  • 主要株主が株式を他社に売りたい
  • 業績が不振なので株式を買い取ってほしいという株主が出てくる
  • 出資者が配当などである程度お金ができたのでリタイアしたいので株式を買ってほしい

などの提案やアクションが起こることもある。

中には、株主総会で当初の議案にない「動議」が出され、代表取締役の退任を要求されることもある。

そのときに過半数を保有していない限り、持ち分の多い株主や、それらの株主の賛同があれば、それらの動議は承認される。

過去にあった村上ファンドなどのモノいう株主騒動の際は、いわゆる委任状の争奪戦(プロキシーファイト)なども頻繁に行われたことはよく知られている。

ここから先は想像だが、上月氏が経営を主導する中で、他の共同創業者との間での経営意識の齟齬(そご)が生まれ、それが修復できないレベルにまで発展してしまい、最後は上月氏が株式を買い取ることになったのかもしれない。

そのようなこともあり、結局信用できるのは身内(親族)だけとなったとしても不思議ではない。さすがに、家族が家族を裏切ることはあまり聞いたことはないからだ。

それらの経験や心情を経て、「他人(社員または不利益をもたらすもの)=性悪説」を前提にしたような体制に変化していったということは想像に難くない。

1980年代前半のコピー業者との問題

そしてもう1つは、アーケードゲーム黎明期にあったとされるコピー業者との問題から由来するのではないかという推測だ。

こちらも先に挙げた『それは『ポン』から始まった』に詳しく説明があるのだが、簡単にいうと、1981年に関西を拠点とする組織暴力団系列の組長がテレビゲームの販売を巡って発砲事件が起こし逮捕。

さらに、同組長により、1982年にはコナミ(レジャック※1)のゲーム『スクランブル』(※2)での許諾恐喝事件が起こる。これはコピー業者とテレビゲームの製造元とのコピー防止に基づく攻防の一端だったと思うが、刑事事件として裁判に発展した。

※1:コナミ傘下のゲーム機器販売会社。※2:横スクロールシューティングゲーム。上月氏自ら「コナミの原点といってはばからない作品」という。

実際、当時のアミューズメント業界全体の問題として、『スペースインベーダー』などのビデオゲームがヒットしたことをきっかけに、1970年の後半から1980年代にかけては、このような組織暴力団との攻防が多数あったと聞く。

私がかつて所属したセガのOBの方々も、当時のことはあまり話したくないというのは、このあたりの事情もあるのかもしれない。事実、ゲーム会社の創業一代目オーナーが多くを語ることは少ない。

すべては過去の事実と、私の想像の範疇を超えるものではないが、裏切り、思いがけない事件への巻き込まれ、ある種の忌避すべきダークサイドとの取引、右肩上がりの業容、さらに信頼していたクリエイターの離反、他社からの引き抜き、そしてシステムやビデオゲームのデータコピーとそのパクリ問題まで、当時から現在に至るまで創業オーナーを悩ませる問題は尽きなかったことだろう。

それゆえに、2000年にタカラ(現在のタカラトミー)の筆頭株主になったこと(後にインデックスに売却)、さらにはスポーツクラブの買収によって「コナミスポーツ」を自社ビジネスの核に据えたことで、脱ゲームを推進した。

同時にアメリカ法人を立ち上げ、ネバダ州でのゲーミングライセンスを取得してカジノ向けスロットなどの生産を行うなどの方向転換を行っている。それらを支えたのは巨額の家庭用ゲームからのマネーではなかったのか。

これらのこと踏まえコナミを俯瞰すると、現在までの在り方と、これからの進む方向性が見えてくるのではないだろうか。

次回はクリエーターとコナミの関係性、取り巻く環境の変化についてまとめてみたい。